大判例

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宮崎地方裁判所 昭和45年(ワ)607号 判決

原告

岩元瑞夫

右訴訟代理人

鍬田萬喜雄

被告

宮崎県

右代表者知事

黒木博

右指定代理人

芹野義信

〈外三名〉

主文

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、本訴請求の趣旨

「被告は原告に対し、金一〇〇万円及び右金員に対する昭和四五年一二月一六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。」との判決ならびに仮執行の宣言。

第二、請求原因

一、原告は昭和四一年八月二一日午後一〇時三〇分頃当時宮崎県西諸県郡飯野町大字末永二、四二五番地加藤強方庭続きにある同人の実兄加藤重憲所有の牛小屋に発生した火災の放火被疑者として、同月二三日逮捕され、引続きその頃その身柄を宮崎刑務所代用監獄飯野警察署に勾留された。

右勾留中に、原告は暴行・非現住建造物放火被告事件の被告人として公訴を提起されたが、昭和四五年一〇月九日宮崎地方裁判所は、原告に対し、暴行については違法な実行行為はあるが心神喪失で責任能力を欠くものとして、放火については証拠不十分で犯罪の証明がないものとして、いずれも無罪の判決を言渡し、右判決は同月二三日確定した。

原告は右放火被疑事件の被疑者として勾留されている間に、昭和四一年九月九日宮崎地方裁判所裁判官鈴木秀夫の発した鑑定留置状により同月一〇日から一〇月五日午前一〇時までの間精神状態鑑定のため宮崎県立富養園に鑑定留置され、同園に勤務していた訴外矢野正敏(以下「矢野」という)は、宮崎地方検察庁検察官富田豊から委嘱を受けて、原告の前記被疑事件の行為当時及び鑑定時における精神状態について鑑定を実施した。

二、(一)、右鑑定留置中矢野は、裁判官の発する身体検査許可状なくして、原告が明確に拒絶したにもかかわらず、数人の看護人をして原告を無理矢理に押さえつけるなどの暴行を加え、次のとおり、原告に対して医療以外の目的でイソミタールを注射し、またいわゆるイソミタール面接による問診及び諸検査を行なつた。

1、昭和四一年九月一八日 イソミタール0.5グラムを注射した後問診。

2、同月二二日 イソミタール0.5グラムを注射した後問診及び飲酒実験による酩酊検査。

3、同月二四日 イソミタール0.5グラムを注射、飲酒実験による酩酊検査及び問診。

4、同月二五日 イソミタール0.5グラムを注射、飲酒実験による酩酊検査、問診ならびに血中アルコール濃度測定。

5、同月二六日 イソミタール0.5グラムを注射、飲酒実験による酩酊検査及び問診。

(二)、矢野は、同年九月一八日から同月二七日まで、裁判官による接見禁止の措置もないのに独断で、原告に対する面会を禁じ、さらに原告の精神状態を観察するために、読書・談話・通信を禁止した。

しかして九月二三日沢重徳・児玉武夫が原告に面会を求めたが、矢野は右面会を拒否したものである。

(三)、身体検査許可状なくして強制的になされた右イソミタール注射・裁判官による接見禁止の措置なくしてなされた右面会禁止及び憲法一九条・二一条・三一条の趣旨に反してなされた読書・談話・通信の禁止の各措置は、いずれも違法・不当な人権侵犯行為である。

三、(一)ところで鑑定留置の場所は実質的には代用監獄の性格を帯びているものというべく、従つて鑑定人たる矢野は鑑定留置中の原告の身柄について責任を負うべき立場にあつたこと、鑑定人は裁判官の許可を得て刑事訴訟法一六八条一項に規定する処分をなす権限を有していること、矢野は前記イソミタール注射をするに際し被告の職員である看護人を指揮命令してこれをなさしめていること、被告所有の薬物を対価の支払いなくして使用していることよりすれば、矢野のした本件鑑定行為は権力的作用であること明らかであり、従つて矢野は公権力の行使に当る公務員であるというべきである。

次に矢野がなした鑑定行為は被告自体の職務の執行とはみられないとしても、同人は被告の職員たる看護人を指揮命令して前記イソミタール注射をなし、被告所有の薬物を使用しているのであるから、客観的には、被告の「職務執行の外形を備えている行為」に該当するものというべきである。

従つて被告は国家賠償法一条により、矢野の前記違法・不法な行為によつて原告の受けた損害を賠償すべき義務がある。

(二)、仮に矢野の前記鑑定行為が公権力の行使に当らないとしても、右鑑定行為は客観的には被告の行なう事業の執行に該当するから、使用者たる被告は民法七一五条一項により原告に対し損害を賠償すべき義務がある。

四、矢野の前記違法・不当な行為によつて原告の受けた精神的苦痛は言語に絶するものがあり、その慰藉料は少なくとも一〇〇万円が相当である。

五、よつて原告は被告に対し、損害賠償金一〇〇万円及び右金員に対する訴状送達の翌日である昭和四五年一二月一六日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三、請求原因に対する答弁

一、請求原因一項の事実は認める。

二、同二項(一)中矢野が看護人をして原告を押さえつけるなどの暴行を加えたこと及び本件イソミタールを医療以外の目的で注射したことは否認する。その余の事実は認める。

同項(二)の事実は認める(ただし面会禁止は九月一八日から同月二六日まで、読書等の禁止は同月一八日から同月二五日までである。)。

同項(三)は否認する。

本件イソミタール注射は、原告の体力の維持と健康を回復するためになされたものである(ただし九月一八日の第一回目のイソミタール注射は問診等の鑑定の目的もあつた。)。すなわち原告は当初から鑑定に応せず、かたくなに沈黙を続けるばかりか、富養園からだされた食事を満足に摂取しようとせず、ために日毎にその体力が衰弱し、遂にその生命が危ぶまれる状態となつた。そのため矢野は医者として原告の健康を慮り、やむを得ず、イソミタール注射を行ない原告の精神の抑制を緩和させることによつて飲食させ、もつて体力の衰弱を防止し、その維持回復をはかつたにすぎない。

このように本件イソミタール注射は治療行為としてなされたものであるから違法ではない。

問診はこのようにして原告の精神状態が緩和された状態を利用してなされたものにすぎない。

また面会等禁止の措置は、原告に関係のある外来者が矢野に執拗に面会を求め、種々の要求をつきつけるなど鑑定人としての業務を妨害したり、富養園の入院・外来患者にまで迷惑を及ぼすので、矢野はかかる不当な妨害を排斥するために右措置をとつたものである。そしてその機会を利用して森田式療法による原告の精神状態の観察を試みたにすぎず、右面会禁止等の措置も違法ではない。

三、同三項中矢野が公権力の行使に当る公務員であること及び本件鑑定行為が被告の職務・事業の執行に該当することは否認する。

本件鑑定行為は矢野が個人の資格においてした私的行為である。

四、同四項は否認する。

第四、抗弁

仮に原告が主張のような損害賠償請求権を有するとしても、原告の本訴提起のときは、本件イソミタール注射・面会等禁止措置をした日時よりすでに三年を経過しているから、右請求権は時効によつて消滅している。

第五、抗弁に対する答弁

消滅時効の起算日が本件イソミタール注射・面会等禁止措置の日時であることは否認する。

原告は本件加害当時矢野のした強制的なイソミタール注射・面会等禁止措置が違法・不当なものであるとは知らず、昭和四五年七月二四日宮崎地方裁判所がした矢野作成の鑑定書の証拠排除決定をみるに及んではじめて本件各加害行為が違法な権利侵害であることを知つたものであり、従つて右排除決定の送達を受けた同年七月下旬頃が時効の起算日である。

理由

一、請求原因一項の事実ならびに同二項(一)中暴行の点及び本件イソミタール注射の目的を除くその余の事実・同項(二)中面会等禁止措置の日時を除くその余の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二、(一)成立に争いのない甲第二号証(矢野正敏作成にかかる原告の精神状態鑑定書)・同第三号証(原告に対する暴行・非現住建造物放火被告事件第五回公判調書)・同第六号証の一・二(同第一〇回公判調書)、証人矢野正敏・同橋口簇の各証言及び原告本人尋問の結果ならびに前記争いのない事実を総合すると次の事実が認められる。

1  原告が宮崎県立富養園に鑑定留置された当初は、矢野は原告の日常的な言動を観察することによつて、鑑定の資料とすべく、原告を同園の大部屋に収容した。当初から原告は矢野の問診に対してほとんど応答せず、酩酊検査をするために看護人をして飲酒をすすめてもこれに応じなかつた。矢野は原告がこのような態度をとるのは原告に対する面会者が矢野の鑑定を妨害しているからであり、かかる状態では鑑定は不可能であると判断し、また面会者らが原告を他の精神病患者と同室させていることに強く反対したり、矢野に対して鑑定を返上せよなどと抗議して同人の本来の業務の遂行にも支障を来たすようなこともあつて、矢野は森田式療法により、原告が退屈・孤独になつた時の精神状態を観察すべく、九月一八日以降同月二六日まで原告を個室に移し、面会・読書・談話・通信を制限する措置をとつた。そのために具体的には原告の妻と友人池田勝盛との計二回の面会が断わられた。

なお九月一九日弁護士小堀清直および都城在福田泰敏が弁護人選任の件で原告との面会を求めたので矢野は右面会を許可した。

2、九月一八日矢野は原告の飲酒時における精神状態を再現してこれを観察すべく、原告に対して焼酎・ウイスキーをすすめたが、原告がこれを拒否したため、全身診察の後イソミタール0.5グラムを注射した。その際原告がこれを拒んだので看護人数名が原告の手や肩を押さえた。

その後矢野は原告にしイソミタール面接による問診を行なつた。

原告は前記面会等制限措置及びイソミタール注射に対して抗議すべく、九月一九日以降拒食するようになつた。

同月二二日に至つても原告は拒食を続け、身体の衰弱も甚だしく、これを放置すれば生命の危険が生じる状態となつたので矢野は原告に対し、砂糖入り牛乳二合及び鶏卵一個の個の鼻腔注入を試みた。しかし原告が激しくこれを拒絶したので、矢野は原告の精神の抑圧を除去して摂食させるようにするためイソミタール0.5グラムを注射した。原告の緊張はほぐれ、自ら右飲食物を摂取した。

依然原告は拒食を続けるので、矢野は同月二四日・二五日・二六日にもイソミタール0.5グラム宛を注射したうえ、牛乳・ミルクセーキ・鶏卵・ウイスキー等を摂取せしめ、その後問診を行なつた。

なお右各イソミタール注射の際看護人は危険のないように原告の手や肩を押さえている。

(二)、1、ところで鑑定人は鑑定をするについて必要かつ相当である限り、刑事訴訟法一六八条一項に定める処分以外は原則として、裁判官の発する許可状なくして、あらゆる資料を参照することができ、またその資料入手の方法に必要かつ相当な処分をすることができるものと解するのが相当である。

そして弁論の全趣旨により成立の認められる乙第七号証の一・二(森田正馬著「神経質の本質と療法」)及び証人矢野・同橋口の各証言によれば、森田式療法によつて被鑑定者の精神状態を観察することは有効かつ適切であること、右療法においては被鑑定者を一定期間(一週間程度)隔離して、面会・読書・談話・通信等を制限する必要のあることが認められる。

そうすると鑑定人たる矢野としては、前(一)、1、の事情のもとにおいてその鑑定を全うするために、森田式療法によつて原告の精神状態を観察すべく、前記認定の期間、原告との接見・交通の範囲を、原告の防禦権行使に必要な程度に限定することは許されていたものと解するのが相当であり、前記のとおり家人と友人計二回の面会は拒まれたが、弁護士小堀清直外一名が原告と面会することを許可していることを併せ考えれば、右限定措置が違法・不当であつたとはいい難い。

また読書・談話・通信の制限措置も、右に説示した趣旨からして、違法・不当であつたとは認め難い。

2、次に弁論の全趣旨により成立の認められる乙第八号証の一・二(日本薬局方第一部解説書)及び証人矢野の証言によれば、イソミタールは気分の抑圧を除去し、精神的緊張を緩解する効用を有すること、イソミタールの本件使用量程度では副作用のないこと、注射自体はさほどの痛みを伴なわないことが認められるところ、前記のように拒食によつて身体の衰弱が甚だしく、これを放置していては生命の危険すら生じかねない原告に対して、イソミタールの右効用を利用して、前記のとおり九月二二日・二四日・二五日・二六日にイソミタール注射をしたうえ、飲食物を摂取せしめんとしたことは、原告が右注射を拒絶したこと、注射の際に看護人が原告の手や肩を押さえつけたことを考慮に入れても、医師である矢野としてはやむを得ない適法な措置であつたといわざるを得ない。

そして右各場合において矢野が鑑定資料を得るために、原告の右精神的緩解状態を利用して問診をなしたこともイソミタール注射施用自体が適法である以上、これを違法として非難し得るものではないというべきである。

右のとおり九月二二日・二四日・二五日・二六日になされたイソミタール注射は、主として医療目的のためになされたものであつて、医師としての義務遂行上その独自の判断において行える範囲内の行為であるから、裁判官の許可は要らずこれを得ていなくとも、違法・不当なものとはいい難い。

ところで、前記のとおり、九月一八日になされたイソミタール注射は、原告の精神状態を鑑定するためにのみなされたものであるところ、原告はこれを拒んでいたのであるから、右注射をするについて、矢野としては、検察官を通じて、刑事訴訟法二二五条・一六八条一項により裁判官の許可を得る必要があつたものというべきである。

してみれば右手続を欠いた点で、右イソミタール注射は違法であるといわざるを得ない。

三、(一)、ところで刑事訴訟法二二三条一項によつて検察官より嘱託を受けた鑑定人は、犯罪の捜査をするについて必要な事項につき特別の学識経験によつてのみ知り得る法則及びその法則を適用して得た意見判断を報告する者であつて、いわば国家機関である検察官の補助官たる地位を有するものである。そして当該鑑定人がある特定の職務についていたとしても、その鑑定行為は右職務とは関係なく、特別の学識経験を有する個人の資格においてこれをなすものであるこというまでもない(このことは本件鑑定に対する謝金が検察庁より矢野個人に対して支払われていること〔成立に争いのない乙第四号証の一・二〕からも明らかである。)

従つて矢野のした本件鑑定は、宮崎県立富養園という施設の場において行われたとはいえ、宮崎県の事務とは全く係わりなく国医師矢野個人が検察官の鑑定嘱託に基づいて行つたものであるから、被告宮崎県の公権力の行使には該らないし、地方公共団体たる被告の職員である矢野の「職務」(国賠法一条一項)・被告の「事業」(民法七一五条一項)のいずれにも属しないこと明らかである。

原告は本件イソミタール注射の際に、矢野が被告の職員である看護人を指揮命令したこと及び被告の薬物を使用したことをもつて、本件鑑定は外形上被告の職員である矢野の「職務」、被告の「事業」に該当する旨主張する。

しかし右に説示したところから明らかなとおり、看護人は矢野が個人的に事実上指揮命令したにすぎず、また薬物使用については検察庁より被告にその対価が支払われているところ(成立に争いのない乙第六号証の一・二)、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は、矢野のなした前記面会等制限措置・イソミタール注射等一連の行為は、検察官より委嘱された鑑定のためになされたものであつて、被告(宮崎県立富養園)の本来の事務には属しないことを当初から十分知悉していたものと認められる。

そうすると原告の主張するいわゆる「外形理論」を適用する前提を欠くものといわざるを得ない。

(二)、従つて前二項(二)掲記の矢野の違法な行為によつて原告に損害が生じたとしても、国家賠償法一条一項・民法七一五条一項に基づき、被告に対しその賠償を求めるに由なきものといわざるを得ない。

四、以上のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は失当であつて棄却を免れない。訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用した。

(舟本信光 笹本忠男 浜崎浩一)

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